須海日記

すかいねん・すうみ

【詩】暗闇を越えて

暗闇に消えていったあなたの背中はいつもより小さく見えた

出会った頃のあなたの眼はもっと輝いていた

私に出会う度に輝いた眼を私に見せてくれた

とびっきりの笑顔と共に

 

暗闇に向かう僕の背中は君の眼にどう映っているのだろう

出会った頃の僕はきっと今よりも素敵だっただろう

君に会うことがどれほど嬉しかったことだろう

君も僕に応えてくれたよ

 

あなたはいつから変わってしまったの

僕はいつからこんなにつまらない人間になってしまったのだろう

 

私を見てくれるあの人を返して

 

暗闇の先には僕を笑顔で迎えてくれる人がきっといる

あの頃の君よりもずっとキラキラしている

僕よりも素敵な笑顔で迎えてくれる

長い闇を早く抜けたい

 

あなたの帰りを待つ私をあなたはどう感じているのだろう

根拠のない期待を胸に抱いている私

根拠のない夢を抱いているあなた

ねえ、早く戻ってきてよ

 

誰かがあの僕を奪ったのはいつ

あなたが私を愛すのをやめたのはあの時

 

早く僕を取り戻したい

 

暗闇を走り始める僕を

私は追いかけ始める

 

真っ直ぐ走り出した僕はもう誰にも止められない

追いかけて声を上げる私 ねえ早く振り向いてよ

 

闇の向こうに光が見える

あなたはさらなる闇に向かっている

 

ただ虚しさだけが僕を包んだ

ただ悲しさだけが私を包んだ

 

 

 

 

 

 

人類永遠の悩み

 昨日のありがとうの記事書いてて思い出したことがあります。

 

 小中学校の時の帰り道の人に「お帰り」って言われるあれです。

 

「こんにちは」なら「こんにちは」って返せばいい。声かけて何も返ってこなければ逃げればいい。でも「お帰り」は知らんやん笑

 

 流石に家が近い人に言われるならまだわかるけど知らん人やん。

 

 家近い人でもなんて返すか悩むレベルなのに返す言葉ないやん。

 

 小学校の時の友達は「ただいまなさい」って言ってた。

 模範解答かもしれん。

 

【購読感謝】

ありがとうは尊い

「ありがとう」って素敵な言葉だと思うんですよね。

 

 言った側も、言われた側も、周りにいて聞いた人も素敵な気持ちだと。

 

 そんな風に思うわけですよ。

 

 だからなるべく止まってくれた車に頭下げるとかバス降りるときに運転手さんに「ありがとうございます」って言うとかしてます。自分が言われたら気持ちいいですからね。

 

 因みにクラスメートとかにありがとうって言われたときになんて返せばいいのか少し迷ってはしまうんですけど、なんて返すのが正解なんでしょうか笑

 

 前は仲いい人には「いたまー!」って言ってました。

 

 人類永遠の悩みかもしれない。

 

 今日も読んでくれてありがとう。【完】

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人はバカ

 政策で大概批判されていた安倍政権が撤退したのは記憶に新しい。その時多くの日本人は「なんだかんだ良かった」とか「お疲れさまでした」などの声を漏らした。

 散々批判されていた東京オリンピックの開催も、いざ始まってみれば「感動した」やら「金メダルおめでとう」やら開催を称賛する声で溢れていた。

 行動は一貫するべきだと思う。一度批判するなら撤退したら「やっと撤退か。新しい時代の幕開けだ」位の発言をすべきだし、「オリンピックは今すべきじゃないから自分は絶対に見ない」位の覚悟でいるべきだと思うわけだ。

 手のひら返しを起こしたのは勿論一般人だけでなく政界、メディアだってそうだ。我先にとオリンピックの開催を批判していたくせにいざ始まってみれば当然のように特番を組んで放送し、広告収入を貰い、視聴率を稼いでいる。

 もちろん自分だって例外ではないのだが、日本人というものはどうしてこんなに単純ななのだろうと落胆してしまう。

 

 本当にそうか?

 

 メディアのコントロールによって批判が多いように見せることもできるし、肯定意見を多いようにも見せられる。勿論人間は単純なものだからメディアがそう見せたいように放送すれば簡単にその意見は増えていく。

 このようなメディアの策略にはまり、勘違いを起こし、こんなブログを書き始めてしまう僕こそが一番愚かで単純でバカなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

待ち時間は無駄

 僕はほとんどの待ち時間や移動時間は無駄だと思っている。ただもちろん例外もある。それは誰かと話しているなどで、それが自分にとって様々な理由において有益な時間になっている時だ。

 だがほとんどの待ち時間はそうではない。特に移動時の信号待ちや踏切待ちは限られた人生の中の大切な時間をただ浪費しているのだ。もう少し早ければ踏切で電車が3本も通り過ぎるのを待ってなくてよかったのになんて経験は1度や2度では済まない。1本目が目の前を通り過ぎて、いざ再スタートしようとペダルに足をかけた瞬間に反対側から電車が来ることを示すランプがついた時には絶望を越えてもはや殺意すらも芽生えてくる。

 そんなときに思うことがある。

 

「なぜあとどれくらいで開くか教えてくれないのだろう」

 

 横断歩道の信号では残り時間を示すメーターのようなものがある場所もある。横断歩道でできるんだったら踏切でもやってくれていいのではないかと思ったわけだ。設置されればその時間によって回り道をすることも考えるし、長い時間を待つことに構えることができる。あったほうがいいに違いない。と、その時の僕は思った。

 それではなぜ実現されていないのだろう。自分なりに考え、一つの結論に辿り着いた。

 

「事故が増えるんだ」

 

 電車が来るまでの残り時間を示すことでその時間が長ければ遮断機をくぐる輩が出てくるかもしれないどころか、調子に乗ってその動画をYouTubeやらtiktokやらに投稿するような馬鹿どもが現れないとも限らない。

 そんなリスクをJRが負う必要は全くない。事故が起こるたびに大損害なのだ。

 こんなリスクを回避することで我々の人生の中の貴重な時間が守られているのかもしれないと考えると感謝しか生まれてこない。事故が起こればそれ以上に時間は無駄になるのだから。

 ありがとうJR。ありがとう西日本鉄道

 

 ところでこのブログを書いていて思ったことがある。

 

 もしかして都会って踏切とかないんですか

 

 もしそうなら、電車を3本待つこともないし踏切で事故って電車が止まることもない。お前何言ってんだよwとかなっていそうだ。

 田舎人ならではの悩みなのかもしれない……。【了】

 

 

 

 

 

 

 

模試でやらかしたかもしれない話

 こんばんは。今回は第2回全統模試の時の話です。

 

 前になんかの模試の結果が戻ってきたときに友達とあることについて話しました。

 

 「数学の記述の記号」

 

 よく使うのは・・・①より的なやつとか(i),(ii)とか、まれに(※)を使ったりするのですがこの記号はどこまでならセーフなのかという話です。☆だと多分セーフでしょう。その時出てきたのはそんなレベルではなくアンパンマンドラえもんです。

 

 その時で忘れてしまえばいいものを、無駄に記憶力がいいすかいねんくんは試験中に思い出してしまいました。とても自信があった確率の問題に、何を血迷ったのかアンパンマンを記号として用いました。

 

 今の不安は河合塾が学校に連絡してくることです。

「おい、お前のとこの生徒、ふざけてるのか」と。

「もう怒った。お前のとこは模試受けさせない」と。

 こんな最悪の結果が頭に浮かんでしまってはもう夜しか眠れません。

 

 先生に呼ばれたらなんと言い訳すればいいんでしょうか

「記号が思いつかなくて…」だの「焦ってて…」だの、聞くに堪えない言い訳しか浮かびません。

 それとも神妙な面持ちで謝るか。

「出来心でやってしまいました」

 そんなことがあり得るんでしょうか。

 

 とにもかくにも、こんなことは心臓に悪いのでもう二度としないでおこうと思います。

 

 因みに友達に話したら白い目で見られました。

 

 結果が出るのは9/28なので、そこまで心臓に悪い日々が続きそうです。【続】

 

 

 

 

 

 

GBL対戦記

 5月にポケモンgoに復帰するときにはしないと誓ったGOバトルリーグ。リワードでもらえる伝説のポケモンが欲しいからと始めちゃったわけですが、今期の最高ランクの報酬がダンデのポーズなのでめっちゃ欲しいんですよ。

 

 欲しい。だが、勝てない。ハイパーリーグ早く終わってほしいなあ()