待ち時間は無駄
僕はほとんどの待ち時間や移動時間は無駄だと思っている。ただもちろん例外もある。それは誰かと話しているなどで、それが自分にとって様々な理由において有益な時間になっている時だ。
だがほとんどの待ち時間はそうではない。特に移動時の信号待ちや踏切待ちは限られた人生の中の大切な時間をただ浪費しているのだ。もう少し早ければ踏切で電車が3本も通り過ぎるのを待ってなくてよかったのになんて経験は1度や2度では済まない。1本目が目の前を通り過ぎて、いざ再スタートしようとペダルに足をかけた瞬間に反対側から電車が来ることを示すランプがついた時には絶望を越えてもはや殺意すらも芽生えてくる。
そんなときに思うことがある。
「なぜあとどれくらいで開くか教えてくれないのだろう」
横断歩道の信号では残り時間を示すメーターのようなものがある場所もある。横断歩道でできるんだったら踏切でもやってくれていいのではないかと思ったわけだ。設置されればその時間によって回り道をすることも考えるし、長い時間を待つことに構えることができる。あったほうがいいに違いない。と、その時の僕は思った。
それではなぜ実現されていないのだろう。自分なりに考え、一つの結論に辿り着いた。
「事故が増えるんだ」
電車が来るまでの残り時間を示すことでその時間が長ければ遮断機をくぐる輩が出てくるかもしれないどころか、調子に乗ってその動画をYouTubeやらtiktokやらに投稿するような馬鹿どもが現れないとも限らない。
そんなリスクをJRが負う必要は全くない。事故が起こるたびに大損害なのだ。
こんなリスクを回避することで我々の人生の中の貴重な時間が守られているのかもしれないと考えると感謝しか生まれてこない。事故が起こればそれ以上に時間は無駄になるのだから。
ありがとうJR。ありがとう西日本鉄道。
ところでこのブログを書いていて思ったことがある。
もしかして都会って踏切とかないんですか
もしそうなら、電車を3本待つこともないし踏切で事故って電車が止まることもない。お前何言ってんだよwとかなっていそうだ。
田舎人ならではの悩みなのかもしれない……。【了】